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五木の子守娘 作品002

 五木の子守唄は、山村の厳しい暮らしの中から生まれ長く唄いつがれてきたものです。
子たちの生活は厳しく、子供たちは7、8歳になると八代や人吉方面に奉公に出されたそうです。
それも奉公とは名ばかりで、「ご飯を食べさてもらうだけで給金はいらない」という約束だったとも聞いております。
そうしたつらい奉公をまぎらわすために唄われた子守り娘です。

*制作者のコメント
大正時代の絣布で娘の着物を、前かけは錦紗布で仕立てました。
子供着は縮緬布。身長は32cmです。

modori

sakuhin
asobi
acsess
inquir

 九州の日田は江戸時代には幕府直轄の天領地として代官所が置かれた城下町です。
その地の豆田街は各藩に貸し付けた利子により莫大な利益を得て経済的にも豊かになり、 その経済力をもって町は整備され今でも市街には古い町並みや土塀残っており、 情緒あふれる街で「九州の小京都」と言われています。
そんな古風な街から生まれました、布あそび人形をご紹介します。
大分県日田市豆田町三丁目
宝屋布あそび人形店